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2005年4月

2005年4月22日 (金)

イルカに恋して

野生のイルカと泳ぐとか、

イルカには人とコミュニケーションを取る能力があるとか、

イルカに関してスピリチュアルなものの捕らえ方をした

本やエッセイやドキュメント番組なんかを見るたび、

あっほらしー。と思ってました。



イルカ、ただの哺乳類やん。



そ、そ、それが・・。

15年近く前、

ハワイ島のリゾートホテルワイコロアで

生まれてはじめてイルカと触れ合ったとき、

私の人生観はひっくりかえりました。

もうイルカと生きるしかないとまで思いつめたねー。

相変わらずあついっすけど。



それはドルフィンクエストというもので、

イルカと触れ合うことで海の生体や生き物を

学ぼうという自然環境保護を目的にしたプログラム。



彼らは野生のイルカじゃないけど、

最高に愛らしかった。



はじめは浅瀬に足だけつけてイルカが

やってくるのを待つ。

私を含めて、4人がそのプログラムを受けていたのだけど、

私んところにだけイルカがこないじゃない?

どういうことー?

あいつらすごく敏感やから、

私の黒いハートを見抜いたんやろかーと

心配しかけたそのとき、

めちゃくちゃなつかし友達にあいにきたみたいに、

私の足に一匹のイルカが頭をスリスリしてきた。

なんちゅーかわいさ。

なんちゅー健気さ。

なんちゅー人なつっこさ。

もうそれだけで、彼と私は「わかりあった」気がした。

イルカの肌はね、

まるでタイヤのような感触で、ツルツル。

触れ合うとめちゃくちゃ気持ちいい。



それから一緒に泳いだり、彼らをダッコしたり

したわけだけど。

問題はそれからだった。



プログラムを終えて、ホテルの部屋に帰り、

ご飯を食べて、またホテルの部屋にもどって

眠る前、どうしたことか、ハートがものすごーくせつない。

なになん?これ?いったい?

そうなのだった。

昼間に一緒に遊んだイルカのことが

恋しくて恋して仕方なくなってたわけで。





それで私は夜遅く、彼らが棲むプールに行ってみた。

誰もいない。物音ひとつしない。あたりは真っ暗。

やっぱり彼らはもう眠ってしまったのね・・・

がっくりきて10分近く呆然とそこに立ち尽くしていたら・・・



なんと!水音がして、すーっと何かが近寄ってくる気配。

あっ、あいつや。

彼は私の目の前までくると、

ものすごーく大きなジャンプを3回もしてくれた。



やられた。

こいつにはやられた。



このイルカとの遭遇で、私はあることを決意。

以下続く。







2005年4月20日 (水)

HAWAII に行きたい

どこがいちばん好き?と言われたら、

迷わずハワイと答えます。



行けば行ったですぐに飽きて、

明日は何をしようかなーと悩むところもいい。



ハワイにはじめていったのはもう、

30年も前のことだけど、

それからしばらくご無沙汰していた。



で、十年後ぐらいに久々に行ったら、

しっかりハワイ病を煩ってしまってよー、

約10年の間に1年に3〜4回ずつぐらい襲撃し続けて、

いまも私の胸元には

アリューシャン列島のようなシミがついたまんまです。



みなさんが俗っぽいっていうワイキキだって

大好き。

でも、ハワイ島はもっと好き。

フォーシーズンホテルフアラライはハワイの中で

いっちばん好きなホテル。

すべてヴィラになっていて、

まるでハワイ島に自分の別荘を持ってるような

気分にさせてくれる。

ランドリーが敷地内にあるのも長期滞在にはうれしいしね。



ここのスパでロミロミマッサージしてもらって、

Fourseasonsと染められた浴衣を着て、

夕暮れの貿易風に吹かれながら歩いてごらん?

もう、至福だす。

・・・・・と日々仕事に追われる私は

ときどきあのときの心地よさを必死で思い出してます。





ハワイの思い出は

それこそ私の細胞の数ほどあるんだけど、

いちばん強烈だったのは

どこか忘れたけど、ホノルルの深い渓谷沿いを

ジープで走ってたら、

カーラジオからビーチボーイズの

サーファーガールが流れてきて、

このときほど、なんだか生きてて良かったなーと

思ったことはないかも。

ハワイにはそういう魂を開放してくれる何か

不思議なパワーが秘められてることは確かです。

いやー、それにしてもこのときほど、

サーファーガールが心に染みたことはないっす。



ハワイって凄いパワーポイントなんです。

あの島にいったら癒される。

元気になれる。



ああ、フリフリチキン食べたい。

ポキ食べたい。スパムむすび食べたい。



それにわたし、イルカに会いにいかねばならんとです。

オアフのマンダリンオリエンタルで

飼われているイルカのマナとは恋仲さ。





2005年4月19日 (火)

60兆もあるんだって

・・といってもホリエモンが

目指す資産額じゃないです。

(とうとうgoogleとも提携しちゃったもんね、あいつ)



今日の日経新聞の夕刊に書かれていた

早稲田大学教授の丹尾安典氏によるコラムの中の数字。



これ、人間の細胞の数だそうです。

そんなにあるんや。

私の知り合いの女医さんはハーバード大学で

細胞のなんとかっていう(覚えられるわけがない)研究を

しているけど、細胞ってめちゃくちゃ

おもしろいそうです。



まあ、その丹尾安典氏のコラムによると、

その細胞のひとつひとつが宇宙誕生(っていつなん?)

からいまに至るまでの歴史を脈々と受け継いでいるんだそうで、

それがなければ、自分という存在はないわけで、

この地平に立てば、森羅万象のすべてが

自分と親戚関係になる・・・とのことです。





生命形態学者の三木茂夫氏によれば、

細胞原形質には「遠い彼方」と共振する性能も備わっているとか。



なるほどー。

時々、山や海の自然の中に身を任せ、

木々のざわめきを感じ、

緑の匂いや海の香りをかいでいると

細胞がいきいきしてくるのを

実感することがあるけれど、

これってやっぱり私を形成している

過去の細胞たちが共振しているからかしらん?



通りで、以前出かけた黒川温泉の

「裸の遊歩道」という山の斜面に作られた

温泉と温泉をつなぐ100メートルぐらいの

小道を裸でターザンのように

行ったり来たりしていたときに、

いままで感じたことのない

すっごい開放感と最高の心地よさを感じた私でしたが、

あれって、裸族だったときの過去の記憶が

蘇ってきたってわけっすね(笑)





一時かなりハマった本「魂の伴侶」の中にも

そんな風なことが書かれておりました。



今私たちの周りにいる両親や恋人や友人は

3000年前の穴蔵できっと一緒に

生活していた者同士に違いないと・・・。



はじめて会うのになぜかすごくなつかしい感じを

抱く人っていますよね?

その人もきっと何千年前か何万年前の過去、

自分と何らかの形で関係があった人なんだろうね。



凄いねー、人間の細胞って。

2005年4月17日 (日)

ライデンの朝食

パリからオランダに移り住んで、

ロケーションコーディネーターを

しているMちゃんからメールがあって、

「オランダはやっぱりいいー。パリより好き」

と書いてあったので、うれしくなった。



彼女はずっとパリに住みながら、

TV番組の仕事を主にしていたコーディネーター。

5年ほど前に

パリに居たころの佐渡裕さん、

フィリッパ・ジョルダーノ、

オペラ歌手のホセ・クーラーをインタビューしたときに

お世話になって以来の友達。





いっぺんに気があって、

彼女の古いビルディングの一室を改造した

素敵なアパートメントに呼んでもらった。

ムートン・ロートシルトのセカンドワインを飲みながら、

世界で住むならどの都市がいい?みたいな話題で

盛り上がった。

私が「いちばんはハワイだけど、

2番目はオランダ!」

というと

Mちゃんは「どう考えてもパリ!」

と言ってた。

ね、Mちゃん、やっぱりオランダいいでしょ?



アムスももちろんいいけど、

私はフェルメールの絵があるデン・ハーグがいちばん好き。

池の上に建つマウリッツハイス美術館で

はじめて「真珠の首飾りの少女」を見たときは

ずっと会いたかった人にやっと会えたような

とても不思議な感じがした。



何の囲いもなく、さりげなく飾られたその絵。

あのとき、窓ガラスから差し込んでいた柔らかな午後の光も

絵の前のソファで雷に打たれたような顔をして

じっと少女を見つめていた50歳ぐらいの紳士の顔も、

昨日のことのように思い出す。



美術館を出て、マロニエの並木道を歩きながら、

商店街のほうに歩いていくと

フリッツ(フライドポテト)の屋台があって、

揚げたてにマヨネーズをいっぱいかけて食べながら

歩いた。



ライデンという町の

風車の前にある、

その名も「風車」という名のカフェでは

朝からビールを飲んだり、

ゲームをしたりしているブルーワーカーの人たちで

混みあっていて、そこに毎朝朝食を食べに行くのが

好きだった。

ここのコロッケと卵料理はいままで食べた中で

いちばんあたたかく優しい海外の味。



ああ、オランダ行きたくなってきた・・・・。

2005年4月15日 (金)

京都の和食

昨日は取材をかねて

3月29日にオープンしたばかりの

室町和久傳へ。

料理長緒方さんのお料理はほんとに優しくて、

センスがあって、

京都の野菜のまろやかさ、

旬のお魚の美味しさをいっぱい感じさせてくれます。



暖炉のあった古い町家を改造した店内は

すごくモダンで、でもすごく京都的で

情報誌が書くところのいわゆる町家とは

一線を画す空気感。

ああ、極上の京都やなーと感じます。



この日はカウンターで懐石のコースを

いただいたのだけど、

目の前には大きな七輪があって、

備長炭でお魚やお肉を焼いてくれます。



天然鯛の白子をあぶって

その上に飯蒸しをのせた一品が美味しかったー。

筍もごりの佃煮も、ぐじと山菜の和え物も、

バツグンに美味しかったけど、

いちばん感激したのは、

さっと炭火であぶった佐賀牛のロースに

花山椒をまぶしただけのシンプルなお料理。



花山椒とは山椒が花を咲かせるちょっと前の

わずか一瞬を摘み取った春のお薬味の王者。

取れる期間もなんと4〜5日という

めちゃくちゃ贅沢なところも好き。



ああ、いまもあの花山椒の残り香が、

口の中とハートに・・。



11月のパリで、アラン・デュカスのレストランで食べた

ホワイトトリュフに並ぶ

我が人生最高峰の食材。





ああ、美味しいものを食べることは

何にも変えがたいのだー!



・・・ってこんなご飯食べれるの、

100年に一度ぐらいなんだけどね。

2005年4月12日 (火)

究極のラブアフェア

これだけは触れたくない私の過去なんですが、

ほんの一瞬、一瞬だけ(言い訳すんな)

タッキーに夢中になってた日々がありました。

きゃー恥ずかしすぎるぜ。



しかし、何年か前、

運良く横浜アリーナの最前列中央の席をゲットしたときは、

シアワセで死ぬかと思ったわ。



当時滝壺にはまりまくっていた私の友達と一緒に

彼女が徹夜で作成した「滝沢」と書かれた

オーストリッチ付きのうちわをもったときは、

さすがに「何してるんだろ、自分」と

思ったけど。



けれども、20センチの距離で見たタッキーの顔は

今も忘れられないってほど、

めちゃくちゃ美しく、かわいかったです。

そんな彼に握手してもらった日にはさー、

誰だってメロメロになるっしょ?



ま、約半年でこの病気も完治しましたが、

冷静になって見渡せば、

周りにいるいる、ジャニ菌に冒された女たちが。



某会社役員のNさんは、現在50歳。

10年前からキムタクにはまり、

これまでに数千万つぎ込んだらしい。

いえ、何もキムタクにおひねりを渡したわけじゃなく(笑)

コンサートに行くと全国各地の移動交通費やホテル代だけで、

これぐらいはかかるのよね。

だって好きなスターは真ん前で見たいですから。

そうなるとダフ屋さんから何十万と膨れ上がった

チケットを買わなければならなくなるから。

彼女はめちゃくちゃ仕事の出来る女でもありますが、

こうはっきり断言します。

「これぐらいの道楽でもなきゃ、人生やっていけないわよ」

けだし名言です。





だけど、コンサートや生舞台のあの興奮と熱気の渦に

一度巻き込まれると

しばし現実の世界へは戻れなくなります。



私もタッキー以外に

オペラやミュージカルやラスベガスのショーに

ハマリまくって、

それが生きることのすべてなんて時期もありました。



でもね、タッキーのコンサートもオペラも

ブロードウェイミュージカルも佐渡裕も

小澤征爾も私の中では同じ興奮のラインにあるもの。



私が愛してやまないカリスマ指揮者カルロス・クライバー様

(泣くなってしまってカナシイ)が

「バラの騎士」を振っているときに見せる恍惚の表情は

「まるで音楽とラブアフェアしてるみたいだった」と

高名な評論家がどこかに書いていたけど、

生の舞台の醍醐味は、演じる側と観る側が創りだす

究極のラブアフェアだと思います。



またそんなステージに会いたいよ。















2005年4月 7日 (木)

人生しんどい・・・

というサブジェクトのメールが、

ミーツの江編集長から届いたので、

ご本人の許可を得て、

そのまま掲載させてもらいます!

相変わらず、ニッポン一のだんじりライターは

泣かせてくれます。



ほんま人生しんどい。

でも、みんなごきげんに生きようねっ。











松壱さん。



日限さんの葬送会ときの服は、

コム・デ・ギャルソンの黒のスーツではなく、

それはその紺のジャケットでした(下はGパンでした)。

アロハシャツではなく、

20年以上も前にレ・アールの一見で行った

(そのころオレも20代だった)

若者向けの店(ウェルカム・トゥ・アトミックワールド

という英語のブランド名も笑わせます)

で買った、ふつうの襟の長袖のビスコースのシャツでした。



これは忘れもしません。

結婚して間もない頃、ちょうど沖縄に取材で行っていて、

その時にホテル(確かANAの万座ホテルだった)に電話が入って、「奥さんの実家に電話するべし」という伝言があり、

さっそくかけると、お義父さんが出られて、

「娘が犬に眉間を噛まれた、すまない私のせいです」

とのことでした。



オレはなんのことかとびっくりして、

とにかく妻に代わってください、

といいながら彼女がとにかくそこにいるのかどうかだけでも

知りたかったのでそう言ったらようやく出て



実家に帰って犬(紀州犬)に頬ずりをしようとしたら、

いきなり顔を噛まれた、

ちょうど鼻と右目の間に歯が入って、

気が付いたら血で目が見えなかったんだけど、

医者に行ったら、

「眼球はどうもないし、傷が残らないように上手く縫っ

てるから大丈夫、それにあなたは結婚してるんだし」

と年上の看護婦に言われた、とのこと。



「犬は老犬だし、結婚してから何ヶ月も帰ってないので、

多分わたしのことの匂いか何か変わってたので

誰かわからなかったので、急に頬ずりしようと顔をつかむと、

ガブリとやられた」との趣旨でした。



けれども何針か忘れたけど、

縫った傷がお酒を飲んだときとかに目立ってきて、

オレはずっとそれが好きでした。



こういう話ってありそうでないけど、

彼女のどんなこと(だったかの過去)を思い出す時に

かなりリアルです。



もう会う機会はないかもしれませんが、

その傷はまだあるか確かめたいと、

何年も経って、思ったりもします。



3歳のとき、犬に噛まれた傷

子供の頃、我が家はちょっとした

動物王国でありました。

一人っ子だった私のために

父が犬やネコはもちろん、

日本猿までどっこから買ってきて、

飼っていました。



この日本猿はほんとぜーんぜんなつかへんかったし、

かわいげなかったです。

ま、このサルにまつわる話はいろいろあるけど

それはまたこんどってことで。



私がいちばん好きだったのは

紀州犬のフジ。

凛々しくて、誇り高くて、真っ黒に濡れた鼻が

もう、好きで好きで、フジとはいつも一緒に

寝たり、遊んだり。

彼の背中に乗るのもお気に入り。



近所の鰹節屋にもフジとまったく同じ紀州犬がいて、

そいつはいつも犬小屋で丸まってばかりいたので、

ある日、母と一緒に買い物にいった3歳の私は

フジにするのと同じように

そいつの右目の中に私のひとさし指を入れて、

「あっかんべー」をした。



そりゃ、犬も驚くよね。

いきなり目の玉に指入れられたら。

で、私の顔をガブリと噛んだというわけで・・。

いまはデカい顔が自慢のわたしですが、

3歳のときはかなり小顔。

紀州犬は思いの他、激しい歯をもっているので、

あっという間に周囲は血の海になったそうです。

母はほとんど発狂寸前。

すぐに私は病院に運ばれ、緊急手術をすることに。



そして左目の下瞼と鼻先を縫うことになったのだけど、

そこに大慌てでやってきた父が

「女の子なんだからなー。

跡が残らないように気をつけて縫えよ!」

と手術室で怒鳴り飛ばし、

(父の弟がドクターでその同僚だったので)

気の毒な外科医は恐れおののいて、

余計針を持つ手が震えていたそうな・・。



だからなのね。うまく縫えなくて、

いまこんなデザインの顔になってしまったのは・・・(涙)



いまも少し疲れたり、酔ったりすると、

私の左目下瞼の、

あのとき犬に噛まれた傷が

ちょっぴりうづきます。



あの鰹節屋の犬はどうしてるだろうか?

噛まれた日の後、父が見に行くと、

なんだかとってもうなだれていたらしいけど、

犬は、あんなことで反省しないと思うんだけど、

どうなんでしょう?

2005年4月 3日 (日)

日限萬里子さん、やすらかに・・。

今日は午後5時から大阪国際交流センターで

日限萬里子さんの葬送式がありました。



桜で埋め尽くされた会場に入ると、

訪れる人みなに桜の枝が手渡され、

その桜をそれぞれが献花していきます。

桜は日限さんが大好きだった花。





会場のスクリーンには若かりし頃の

彼女の華やかな笑顔いっぱいの写真が

飾られていて、

なんだかかつて見た私の大好きなブロードウエイミュージカル

「サンセット大通り」のセットみたいな感じがしました。



会場はとにかくお洒落な人でいっぱい。

若い人も若づくりの人も。

あの人も、あの人も、あの人も・・・。

もう20年前に一緒にお仕事した人や、

夜明けまで遊びまくった

泣かせる歌をうたってくれるママや

北新地の女神や、

バッキー・イノウエ氏が

泣き坊主と呼ぶ関西屈指のサービス業の達人や

彼の美しい奥様や

そのバッキーと京都のギャング軍団、

カリスマ空間デザイナーや

東京のセレブな人たちや

井岡選手の顔も・・・

というほんとに日限さんの生前の交流の広さを

しのばせる面々で、

改めて彼女がどれほどみんなに愛されていたかが

わかるとってもゴージャスな葬送式でした。



そしてMeetsの名物編集長江さんは

「久々にギャルソンの服もきなあかんしなー」

とコムデ・ギャルソのブラックスーツに

インナーはアロハというイカしたいでたちで。



献杯は彼女が好きだったモエ・エ・シャンドンの

ホワイトスター。

シャンペングラスを運ぶのは

ミナミのイケメン黒服たち。

べっぴんな女優やアーティストや

ミナミのマフィア(笑)も入り乱れての

最高に華やかな夜。



もんたよしのりさんが歌い、

桑名正博さんがやっぱり

「月の灯かり」で泣かせ、

最後はDJたちが鼓膜破れそうなほど

レアな音楽かけまくって、

踊り狂う人も続出。



とにかくお葬式の常識をすべてぶっ壊す

なんてアヴァンギャルドな葬送式だったことか。



でもいちばん喜んでいたのは、

しめっぽいのは大嫌い、

にぎやかなことが大好きだった

今宵の主役日限さんだったと思います。



帰りしな、日限萬里子さんの小さなお骨をかかえた、

年老いたお母様の姿を見たとき、

はじめて涙が溢れました。



日限さん、ありがとう。

どうぞ、やすらかにおやすみください。



2005年4月 2日 (土)

仕事は生きる力なり〜

このところ、NYとのやりとりで

(向うの朝10時がこちらの午前12時)

遅くまで起きて仕事しているせいか

日中は頭ぼんやりしてます。



ああ、仕事はつらい。

楽しい仕事もあるけど、

やっぱし、大変なことの方が多い。

ひええええーっと目の前真っ暗になるような

問題も勃発続出やし。



出来れば仕事なんかせずに毎日スパやシャンパンの

日々を送ることが出来ればと夢想する。

しかし、今日はふと、

この一筋縄ではいかない仕事のあれこれも、

振り返れば、

「なつかしいな」と思える日も来るンだろうなって思った。



そして、

私はこれからいったいいくつまで

現役で仕事できるのかなーと考えると

いただける仕事はみなありがたく

苦しいことのみ多かりき・・・でも

耐えよう(ほんまか)と殊勝にも思った次第であります。



それにねー。

ヒマな日が続くと、顔がなぜかむくむのよねー。

表情もなんだかぼんやりして(これはいつもか)

輪郭ぼやけまくり。



恋もエステも美容の元だけど、

もしかして、厳しい仕事をひとつずつこなすことも

いい顔になるために欠かせないことかも。

とはいえ、寝不足はあきません。

最近寝てないし、目の下くま15匹・・。



今日日経新聞見てたら、

恒例の新入社員に向けてのサントリーの広告に

作家の伊集院静さんが

「生きる力をくれたまえ」というタイトルで、

なかなか素敵なコラムを書かれていました。

読んだ人も多いよね。

(私は山口瞳さんのコラムが好きやったなー)

以下抜粋。



仕事とは、人が生きる力だ、と私は思う。

中略

どんな仕事にも尊厳があり、誇りがある。

己だけがよければいい、富が、金が

力の発想は下衆で、卑しいのだ(ホリエモンのことかい?)

本物の仕事は、生きる力は、

己以外の誰かのために存在している。

本物の仕事に出逢うには、君の力を惜しまないことだ。

全力でぶつかることだ。

君の生きる力をくれたまえ。

後略



ううううっ。新入社員へのこの言葉が、

いまの私の心境にあまりにぴったりでさ、

切り抜きたい気分。



そういえば、2年程前、伊集院静さんを

東京・神田の山の上ホテルでお見かけした。

完璧に二日酔いのお顔がなんだか

とっても文士!て感じでセクシーやったな。

最近の写真